大判例

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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和30年(う)531号 判決 1956年4月04日

控訴人 原審検察官

被告人 中田窪哉

検察官 大坂盛夫

主文

原判決を破棄する。

本件を原裁判所に差し戻す。

理由

検察官の控訴趣意は本件記録中の検察官田原迫卓視作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり弁護人砂山博の答弁は同人作成名義の答弁書に記載のとおりであるから何れもここに引用する。

同控訴趣意(事実誤認の違法)について

刑事訴訟法第二四九条第二五六条第一、二項によれば公訴の提起は検察官が起訴状で指定した被告人以外の者にその効を及ぼさないのであり事件はその指定された被告人及び公訴犯罪事実とによつて特定されるのであるに拘らず同法第二五四条第二項が共犯の一人に対してした公訴提起による時効の停止は他の共犯に対してもその効力を有する旨を規定し同法第二三八条第一項(告訴の不可分)と同旨の規定を設けた所以のものは公訴時効の制度の本旨が単に時間の経過によつて生じた事実上の状態を尊重することによる犯人の生活の安定を保障するという点にあるのではなく犯罪によつて蒙る社会的損失が時間の経過によつて不問に附せられるという点にあるので犯人と指向された人を基礎とするものではなく客観的な事実上の状態を基礎としている点から生じた結果に外ならないのである。従つて検察官が起訴状において共犯の一人として指定して起訴した被告人が仮りに審判の結果無罪となつたとしてもそれが検察官の特定した公訴犯罪事実が客観的に存在しないことが明白であるというような場合は論外とするも、一応客観的に存在視さるる該犯罪につき当該被告人の所為はその客観的構成要件をも充足しておらず全然無関係という理由であるならば格別そうでなく単に該犯罪の責任条件を欠如するというに止まるときは当該被告人に対してした公訴提起は他の共犯者に対する関係においても時効停止の効力を生ずるものと言わなければならぬ。之を本件事実関係について観ると仲田源英は機帆船旭丸に同船機関長、崎山喜光は同船甲板員として乗組み同船船長たる本件被告人と共謀の上免許を受けないで昭和二四年一〇月七日頃の午後八時頃熊毛郡種子島沖合海上に於て大島郡方面より船名不詳の漁船で来航した氏名不詳者より双目糖(台湾糖)三五九八斤黒糖三〇斤その他占領軍衣類等の積換えをし之を同月九日午前一一時三〇分頃鹿児島湾知林島沖合海上まで運搬して来て右砂糖の密輸入を図り且つ米占領軍衣類等の関税三一七四円七二銭の逋脱を図つたという公訴事実について前記仲田、崎山は昭和二五年一月一六日鹿児島地方裁判所川内支部に起訴されたが同裁判所において無罪の判決を受け更に検察官の控訴申立により福岡高等裁判所宮崎支部において昭和二六年一二月一四日控訴棄却の判決があり該判決は上訴の申立なく同年同月二九日確定したこと、本件被告人は事件後間もなく逃走し所定不明であつたため昭和三〇年八月一九日に至り前記同一の公訴事実について前示仲田、崎山と共犯関係ありとして鹿児島地方裁判所名瀬支部に起訴せられたが同裁判所は同年一〇月二五日前記仲田、崎山との共犯関係は認められず従つて曩に右両名に対してした公訴提起によりては時効停止の効力は生じないとの理由を以つて免訴の判決を言渡したことは本件記録に徴して明らかである。しかし、前記仲田、崎山両名に対する無罪の確定判決は本件被告人に対する関係においては拘束力はなく右両名と本件被告人との共犯関係の有無は専ら現に本件被告人に対する事件の繋属する当裁判所が本件に現われた証拠により決定すべきものであるところ本件記録中の検察官指摘の証拠によれば本件公訴事実の存在は勿論該事実について少くとも本件被告人と前記仲田との間に共犯関係の存することを認められないことはないのみならず仮りにそうでないとしても本件被告人が本件公訴犯罪事実である大島方面からの貨物密輸入を企図したことについてその情を知りながら崎山は該貨物の船移しの加勢をし、仲田は該貨物積載の旭丸の運船に従事したものであり、只右両名に対する曩の無罪判決に説示するように両名の右のような従犯的行為に出でないことを要求できないような附随的事情があつて他に適当な方法処置をとることは何人にも期待し得なかつたのでその刑責を負担させることができなかつたというに止まり両名の所為が該公訴犯罪についてその客観的構成要件を充足していたことは証拠上明認できるから冐頭説示に照らして自ら明らかなように右両名に対してした公訴の提起は本件被告人に対する関係においても時効停止の効力を生ずるものと言わざるを得ない。而して本件公訴犯罪の時効完成期間は五年であるところ該犯罪の行われたのは昭和二四年一〇月九日であり両名に対してした公訴提起は昭和二五年一月一六日、福岡高等裁判所宮崎支部の控訴棄却の判決により両名に対する事件の判決の確定は昭和二六年一二月二九日であるから其の間の時効進行の停止により時効完成日は昭和三一年九月二〇日であるのに本件被告人に対する公訴提起は昭和三〇年八月一九日であるから未だ本件の時効は完成していないこと明白である。果して然らば原審が以上と異なり被告人に対し免訴の言渡をしたのは所論の如く事実を誤認したか若しくは公訴提起による時効停止に関する法令の解釈適用を誤つたものというの外なく検察官の論旨は理由があり之と異る見解に立つ弁護人の所論には賛成しない。

そこで刑事訴訟法第三九七条に則り原判決を破棄することにする。然しながら本件被告人に対しては時効期間の未完成を前提として有罪の判決をしなければならないのであるが本件貨物の密輸入の用に供した旭丸の所有又は占有関係の所在並にその存否及び該貨物の存否並に換価の有無が記録上不明確であり従つて関税法第八三条により何れを没収し何れを追徴すべきかを判断することができないので更に以上の諸点を審理させるため同法第四〇〇条本文により本件を原裁判所に差戻することにする。仍て主文のように判決する。

(裁判長裁判官 筒井義彦 裁判官 二見虎雄 裁判官 長友文士)

原審検察官の控訴趣意

原判決には事実の誤認がある。即ち原判決は本件昭和三十年八月十九日の起訴前に刑事訴訟法第二五〇条所定の公訴時効期間を経過しているからとの理由で免訴の言渡をし検察官の時効停止の主張に対して本件起訴状によると被告人は仲田源英、崎山喜光と共謀して本件犯行に及んだ旨の訴因を掲げていて被告人も当公判廷でこの点を認めているのであるが右両名は本件事件について被告人と共犯関係にあるものとして昭和二十五年一月十六日鹿児島地方裁判所川内支部に起訴されたが無罪の判決を受け第二審は昭和二十六年十二月十四日控訴棄却の判決があつた事は明らかで被告人の右自白のみで被告人と右の者との共犯関係を認めることはできない、従つて右の者に対する前掲の公訴提起を以つて本件について共犯に対する公訴提起による時効の停止の効力を生じないものと解し免訴の判決を為している。

案ずるに右両名に対する捜査、裁判時を通じて本件被告人中田窪哉は逃走中であつたが漸く昭和三十年八月所在を発見して取調べた結果被告人中田窪哉が明かに密貿易計劃を仲田源英に打明け同人の協力により密貿易用船を買入れ同人を機関長とし又同人が選定した崎山喜光を甲板長に八郷貢を炊夫に採用乗組ませ本件犯行を為したものである事を自白したもので公判廷に於ても卒直に認め検察官提出の証拠調に同意したものである。其の証拠を観るに、一、大城亀一の昭和二十五年三月十四日附検察官に対する供述調書には仲田源英が昭和二十四年九月頃中田某有馬某という孰れも大島出身者を連れて船の世話を頼みに来たので松元巖方に右三名を連れて行き旭丸を彼等に売る様紹介し約一週間後旭丸に仲田源英外二名が乗つて阿久根港に来、中田と有馬は陸路来阿した旨の供述記載、二、松元巖の昭和二十五年三月十三日附検察官に対する供述調書に昭和二十四年九月三日頃私方に知人大城が来て中田窪哉を紹介した其の時初めて見た四十四、五才の男もついて来ていた、同人は将来自分が機関長になると云つていた中田、有馬は其の時船を買い五島方面から鮮魚を積んで博多方面に運搬するのに使用するから船を売つてくれと云つた、二、三日後中田、有馬及機関長が来て二十五万円で売る事に話をきめ九月十日に右三名が支払に来た、九月十六、七日頃私方に中田、大城、機関長及その時初めて会つた十七八才の炊事夫が来て旭丸を引渡してくれと云つたので担保証書の事で文句を云つたところ機関長が怒つた。其の時旭丸を引渡したが、同人等は川内方面に食糧と燃料を積みに行くと云つて出発し其際中田は煮干を註文した旨の供述記載、三、八郷貢の昭和二十四年十月九日附司法巡査海上保安官山口栄治に対する供述調書に私が旭丸に乗船したのは今年の九月十日頃で機関長の世話であつて船主は誰か知らぬ旨の記載、四、八郷貢の昭和二十五年三月二十日附検察官に対する供述調書に九月末仲田源英が私方に来て中田という人が種子島方面に漁に行くから炊事夫として乗らぬか月二千円出すと云うので承諾した。一週間後仲田が船を阿久根から川内に廻すから行けというので行つた。鹿児島から中田という船主が来ていた。米、味噌等の買入れは仲田から金を貰つてした。(四項)その日の午前十一時頃旭丸に中田、仲田、崎山及び私が乗り込んで煮干を積んで海岸を出発した。私は釣に行くのに釣道具が船になく漁に行くのに沢山煮干を積み込みましたので不審に思い仲田に釣道具は何処で買うかと尋ねましたところ種子島に行つて買うと云いました、その翌日午前五時頃種子島沖で機関故障で流れていると午前十時頃向うから漁船が来三人が砂糧、落花生、進駐軍用軍服等を持つて乗り移つた。仲田、中田、崎山が手伝つて荷物を受取り煮干三十九袋を中田、仲田及崎山が向うの船に積み替えた旨の記載、五、仲田源英の昭和二十四年十二月二十三日附検察官に対する供述調書に本年九月二十五日頃中田窪哉が突然訪ねて来て鹿児島沖の鯖釣に来ないか食事付で五千円位やると申したので承諾した。十月三日出水郡阿久根港に行つて乗船した。乗組員崎山喜光は前から知つていた、十月五日鯖釣りに行くのに何も道具がありませんのでおかしいと思つて私は船長(被告人)に道具はどうするかと尋ねると同人は此処では揃わないから鹿児島に行つて揃えようと云いそれを信用して鹿児島に向う途中鹿児島湾の入口に来たのに入港しないので怪しいと思つて船長に「何処に行くか」と尋ねるともう以前に連絡が取れていたものと見え、種子島に直航すると云いました。それで私はどうして種子島に行くかと尋ねると被告人は「兎角行けば判るから君は機関を廻してくれ」と云う丈で何の為に行くとも申しません。然し私は鯖釣の道具を揃えると申しながら鹿児島湾近く来てから種子島に行くと云い向うに行けば判ると答えますのでこれは何か連絡があつて密輸に行くのだと感付きましたがどうすることも出来ず其の儘機関を廻したのであります。崎山喜光にも被告人は鯖釣に行くと話していたので種子島に直航することになつたとき同人も密輸に此の船が行くのだということは感付いていたようであります。十月七日種子島沖合で積荷の積換をするのでありますから種子島には砂糖などありませんので大島か琉球方面から密輸されたものではないかと感付いたのであります。二、三十分位で積荷は終つたのですが其の時崎山は甲板員でありますので荷の積換を手伝つていたようであります。との旨の供述、六、前同様に適法に証拠調のなされた崎山喜光の検察官に対する、旭丸に乗組んで見ると船長(被告人)、機関長仲田源英、甲板員は八郷貢と私の計四名で鯖釣の道具がないので理由を聞くと被告人は鹿児島に行つて準備するからと答えました。私はその通り信じていたが鹿児島湾に差掛つたのに入港しようとせず真直に行くので私はどうするのかと尋ねると被告人は種子島に行つて砂糖を積むようになつたと返事したのであります。それを聞いて私は鯖漁というのは嘘で此の船は密輸船で砂糖を密輸入に行くのだと感付いた。それから種子島沖で密輸船だと思われる船から砂糖衣類等の積換を手伝つた。旨の供述、七、被告人及仲田源英、崎山喜光の三名が終始同一船内で生活した事実が証拠となり被告人の昭和三十年七月二十六日附及同月三十日附検察官に対する供述調書記載の自白は共犯関係を含めて十分に補強せられるものであり仲田源英については共謀を崎山については仮りに共同正犯と認められないとしても幇助関係は認められるのである。然るに裁判所は本件被告人の犯罪事実を認定するには其被告事件の証拠によつて判断すべきであつて本件の主犯と謂うべき本件被告人中田窪哉が未検挙前に集収された不十分な証拠により判断した既往の共犯者の判決に拘泥して本件で明になつた補強証拠ある被告人の自白を無視して共犯関係は認められずと判断したのは明に事実誤認と謂う外はない、共犯者二人に対する既往の第二審判決は当時の不十分な証拠によつても右両名が被告人中田窪哉の本件犯行を幇助した事実は認めるが両名の犯行時に於て両名に従犯的行為に出でざることを要求出来ない様な附随的事情があり他に適当な方法処置をとることは何人にも期待し得ないとみるべきだから刑責を負わしむることは出来ないとし所謂期待可能性の理論によつて両名に刑責なしとしたのである。即ちこの両名は仲田と意思共通して本件の犯行を為したこと即本件の犯行を為したこと即本件の犯罪構成要件を充足したことは前記確定判決も認定しているところである。共犯者の一人に対する時効停止の効力は他の共犯者に及ぶのであるからこの共犯者二人に対する起訴により生じた時効停止は中田窪哉にも効力が及びその二人の共犯者が仮令無罪の判決を受け確定したとしてもそれが罪となるべき事実の存在なく従つて他の者と共犯関係を認められぬという理由でない限り時効停止の効力に影響ないものと謂わねばならない。従つてこの両名に対する公訴の提起は刑事訴訟法第二五四条第二項により共犯者である中田窪哉に対する関係でも時効停止の効力を生ずることは論を待たない。而してこの共犯者二名については昭和二十五年一月十六日鹿児島地方裁判所川内支部に起訴され昭和二十五年七月十七日同支部で無罪の判決あり昭和二十六年十二月十四日福岡高等裁判所宮崎支部で控訴棄却の判決があり同月二十九日確定したもので其の間の時効進行停止により時効完成日は昭和三十一年九月二十日となり本件起訴日である昭和三十年八月十九日は未だ公訴時効完成し居らざりしものである。原審が事実を誤認し共犯の起訴による時効停止の効力なく起訴時に既に時効完成しおるものとして免訴の判決をしたのは不当で之を破棄し有罪の判決あらんことを求める次第である。

弁護人砂山博の答弁要旨

一、本件被告人の犯罪行為は昭和廿四年十月七日発生したものであることは関係人の認める処で検察官及び原審の認定もそのとおりである。而てその公訴時効は其日より進行するから満三ケ年即ち昭和廿七年十月六日を以て完成するものである。

二、然るに犯罪時より三ケ月九日目たる昭和廿五年一月十六日本件被告人は共犯関係あるものとして川内支部に他の被告人弐名に対し公訴の提起があつたのだからこの時より本件の時効は停止されたものであることも明かであるが該事件は其後審理判決され昭和廿六年十二月十四日当高裁支部の判決によつて無罪たることが確定したのである。正確に言へば昭和六年十二月廿九日をもつて本件共犯者三名に対する本件関税法違反事件は無罪と確定し青天白日となつたものである、これはその理由の如何を問はないので、別言すればその判決のあつたことにより被告等共犯者三名に対する公訴時効の問題は解消したものであると言はねばならぬ。即ち無罪判決により国家の刑罰請求権なきことに確定したから被告人の公訴時効は停止することなく進行を続け来たものと言はなければならない。さすれば本件は昭和廿七年十月六日の経過によつてこの事件の時効は完成しているものである。原審の見解もこれと同一であろうと信ずる。

三、検察官は昭和卅年八月十九日再び本件を起訴していることも明かであるがこれは時間的に見ておそかりし由良之助もう判官たる関税法違反の実体法的な刑罰権は時効によつて死んでいなくなつているのである、このみやすき道理を更に当審に持ち込み争つても到底採用の価値なきものと言はねばなるまい。

四、次に共犯関係即ち他の二名と本件被告人が共犯の関係にありしや否やの点は審判の対象となつている事件の裁判所が決定する処で事実誤認はない。原審は明かに被告人の自白のみでは他の者との共犯関係を認めることはできないといつているのは誠に賢明であり既に然りとすれば他の者に対する公訴提起をもつては本件被告に対する公訴提起による時効停止の効力を生じないと解することも当然の条理である。検察官の控訴は理由ないものと信ずる。(参考文献有斐閣註釈全書刑訴法四七八頁。)

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